ひょっとして転職したい?私は40歳で職人になった。

アラフォー女の転職。手に職をと宝飾系加工職人に転職してみた。自分のために生きるべし。

「40代の転職・再就職」の成功?秘訣?ずっと転職に期待をしてきた自分が今思うことは③

輝実は結局のところ、40歳ぴったりで今のところ、
ようやく気持ちが、字のごとく、「腑に落ちる」という

仕事に就けて毎日を結構充実したものにしています。

 

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近年の転職について

 

焦りは禁物

 

普通に、変な会社だ!と悟ったからには

やはり次を考えてしまうものです。

正直言えば、地元のエージェントを信頼しすぎたところはあります。

なんとなくですけども、最初から違和感がありました。

でも、

・自分自身の自信のなさ

・人に選んでもらった方がいいのでは

・年齢的に厳しいという風

・辛い、不安、安定したい。

 

という、今までの辛い経験からこういう考え方に至っていたというのが

正直なところです。

 

私はさらに、転職活動を始めていました。

情報収集は、やはり、ネット。

 

ネットを閲覧していると、だいたい、広告がその人を見るものをAIが判断し、

適切な広告を表示しますよね、

それで、仕事の内容が、

 

某公務員系の営業職。

これ、営業職っていうのがすごく気にかかるけども

安定性まちがいないし、一度は営業職は経験しとかないとな、と

無意識には感じていたので、それに納得させられる感じで

よし、応募。 でした。

 

某公務員系は、本当にしっかりとした福利厚生で

採用試験もきっちりしていて、安心でした。

 

同じ職種はいつでも募集しているので、採用までの

方法、試験内容はいつでもご教示したいくらいですが、何の仕事かは

伏せておきましょう。

受からせる自信あります、笑

 

めでたく採用されました。

とても嬉しかったです。安定が手に入る〜!

しかし、入ったはいいけど、書けないくらい厳しい研修を県外で2か月、

そして実態は、

・営業方法は各個人に任せる、

・営業方法なんてない、頑張れ

・ノルマきつい

・営業内容上、もめやすい。

・休み返上ででも仕事に来なければならない

(有給はいつでも使えますけど)

・新人に対して、先輩・後輩の分け方、男女差別が激しい

 

要するに、輝実にはマッチしてなかったわけです。

いっぱい頑張られている方はいます。

信じられないくらい収入を得ている人もいます

 

病気になる

しかも、少しは興味があったけど、特に好きでもなければ

突き詰めたい仕事でもなく、動機は しっかり稼ぎたい、

だけでした。

 

冬は本当に厳しくて、腹と背と足裏にカイロを貼り、

中にいっぱい着込んでも、4時までが限界でした。

寒さが痛いんです。痛くて立てませんでした。

 

という以前に、心がもう無理だ、と思いました。

 

いろんなことに疲れていた時期で、家族の死亡、揉め事、長年の

介護、引っ越し、、、

 

5月にふっと、私、もう、無理。 って何かの糸が切れました。

 

動けなくなり、泣きわめくようになりました。

 

いわゆる、病気。です。うつ病ですよ・・・・。

あーぁ、また失敗したなぁ。

私ってダメだな、ほんと、なんで頑張っているのにダメなんだろう。

どうして、努力って報われないんだろう。

私って最低な人間だなー って思いました。

母が亡くなった時一緒に連れてってくれたらいいのに、死んでもよかったのになー。

 

まじ、鬱病ですよ。

家族に勧められて、心療内科へ行きました。

 

速攻、迷いなくうつ病の診断が下され、

薬を処方されました。

 

実は心・潜在意識が求めていたもの

 

もう会社に行きたくないし、迷惑かけたくない。

年度が始まって成績がずっと0かつ、トラブルしかありませんでした。

4月末日に今日も営業で挙績がなければ辞める、と決めて家を出ました。

 

もちろん、0。

 

やめます、とリーダーに相談しました。

 

こうして、輝実は休みに入ることになります。

私が本当に運が良いのは、人に恵まれるということです。

リーダーはとても年下なのに的確にアドバイスをくれる人でした。

 

輝実、この会社は大きいし余裕がある、お前が休んでも

給与が払い続けられることに遠慮してはいけない、大丈夫だから。

そして、ゆっくり休んで前向きになった時に、辞めるかどうかを

考えれば良い。今は、休めばいい。

 

このあと部長も親身に相談に乗ってくれて、あれよあれよと休みが整うことになりました。

 

6月はほぼ全休。

7月も完全全休。

 

正直、ずっとずっと走りっぱなしで緊張していました。

うわーこんなに休んだことないし、悪いわーどうしよう。

という気持ち。

 

ですが、思えば、

その当時、お金は営業成績があれば手当をいっぱいもらえました。

でもそれは、相当な時間を費やして得たもの。

いつも、へとへとになって帰ってきては、すぐに布団、の生活でした。

毎日、私はこれは嫌でした。

 

つまりは、私は、

 

時間が欲しかった、休みたかった

 

が、本音ですね。自分の真に望むものは叶った、ということになります。

このために苦労したことも、いっぱい毎日泣いていたことも、

全部ではないですけど、薬の力も借りて、思う存分、丸1日以上を布団で過ごしたり、

とことん、

 

自分のために

 

時間を使いました。今までは、

家族のこと、旦那さんのこと、が優先でした。

ということを、自分が選んでしまっていただけのことなんですけどね。

 

休む、という選択は自分にとっては

努力もしていないのに、休みなんて。

営業成績も達成しないで休みとか。あ。

みんなはもっと頑張ってる。

旦那さんの稼ぎでは食べていけない。

親を養わないと

 

とか、つまり、

 

勝手に自分が苦しい道を選んで勝手に苦しんでいた

 

ということです。

誰も、俺のために頑張れ、なんて一言も言われてません。

全部自分が幻視しているんですよ

 

でもそれで結構、苦しんでいる全国の方はいらっしゃるのではないかな、と

思っています。

 

どMさんですよ、自分でも言います、どMです自分。

 

これに気づいたのが、39歳の最後の月でした。

40歳にもなるのに、とても焦りは消えませんでしたが・・・・

 

続く